ダイアモンドはなぜ高いのか?価値の正体を知って”手放し”する方法。
若い頃から疑問に思っていたこと。それは、ダイアモンド、宝石、金になぜ人は高いお金を払うのか?価値があるって誰が決めたのか?
普段から当たり前に思っていることが、実は因数分解していったらただの偏見だったり、取るに足らないしょうもないことだったりすることがある。
今回は、そういう要らないものに気づくための頭のストレッチをしてみようと思う。
目次
ダイヤモンドはなぜ高いのか?
結論から入ると
- 生産量が限られていている(かつ商社が供給量を絞っている)
- ジュエリーブランドが広告費を使っている
からである。
生産量が限られる
USGS(アメリカ地質調査所)によると、2018年の世界のダイヤモンドの総生産量は、127,000,000カラット(25.4トン)。
ダイアモンドの比重は3.52なので、体積に例えると6tトラックくらい?
生産量が限られるのだから、まー値段が高いのは理解できる。
金とか他の宝石も同じ理屈、つまり希少だから高い、とされている。
ちなみに、ダイアモンドの80%は工業用で、20%はジュエリーとなるらしい。
ジュエリーブランドが広告費を使っている
ブランドものを欲しがる人は、引き寄せができない? の記事に書いたが、ブランドの値段が高い理由、人々がありがたがってしまう理由は、ブランドが広告費を使っているからである。
ダイヤモンドもブランドと同じスキームである。
ジュエリーダイアモンドは、1カラット(0.2グラム)100万円くらい。
だが、工業用ダイアモンドの卸価格は、1カラット2円である。
この価格差….
調べた私自身がびっくりした笑
差額の99万9998円の正体はなにか?それは広告費である。
現代の宝石業者は、中世と違って、カラット(質量)だけで価値を語るのは無理だと考えた。そこで4C(Cut, Carat, Color, Clarity)というスキームをつくり、広告費を使って消費者を教育し、価値があるように刷り込んでいるのだ。
考えれば考えるほど、ダイアモンド=価値があるというのがアホらしくなる
ダイアモンドは広告費! と言われても、ダイアモンドは綺麗じゃん!価値あるじゃん!と言い張る人も中にはいる。そういう人は下の質問に答えられるだろうか?
ガラスでいいじゃん?
ガラスでも、4Cをパーフェクトに満たした綺麗な石っころを人工的に作ることはできる。というか、素人には見た目だけは判別はつかないだろう。
人工ダイヤモンドでいいじゃん?
すでに人類は人工ダイヤモンドをつくることができる。さらに、人工ダイヤモンドの方がClarity(透明度)が高くて綺麗らしい。
となると困るのは宝石業者である。これまで4Cとかの基準を設けて、ダイアモンドが高いという広告をさんざんやってきたのに、大量生産できる人工ダイヤモンドなんか出現したら、自分たちは食べていけなくなる!
そう考えた彼らは、透明度ににごりが混じっている天然ダイヤモンドを、にごりがまじっているからこそ希少であるということにした。
ただの炭素じゃん?
ダイアモンドはただの炭素である。木の元素と同じ。燃える。
素材という観点で見ると、何の変哲も無い元素である。
資産価値としてのダイアモンドという広告をたまにみるが、いやいや火事で燃えて灰になるよ? 株式投資した方がリターンあるよ?
ダイヤモンドでできた星が発見されたら?
発見されたらというか、ダイアモンドでできていると見られる星がすでに発見されている。
地球から40光年のところにある、かに座55番星の惑星。惑星の1/3はダイアモンドでできているとされていて、その量はなんと、地球3つ分!
そんな量のダイヤモンドがもしあるのだとしたら、ダイヤモンドなんて砂つぶを同じ価値しか持たなくなる。
40光年と離れているのだが、例えばもっと近く数光年先にダイヤモンドの惑星があるとしたら?
ダイヤモンドは世間・他人の価値観の象徴
結局、ダイヤモンド=価値がある、という考え方は刷り込まれた他人や世間の価値観でしか無い。
ダイヤモンドで一儲けしようとしている業者が、広告費をいっぱい使って人々に刷り込みをしているから、人々は無思考でダイヤモンドが高いと思い込んでいるだけである。
概念的な話だが、刷り込まれた世間や他人の価値観に気づいていないということは、自分の本当に欲しいものが、実は他人が欲しいものに乗っかっているだけ、ということに気づかないということになる。
他人が欲しいと思ってるから、自分も欲しい、という思考性では本当の自分の望みはわからないし、引き寄せで引き寄せる現実もたかだかそのレベルということになってしまう。
時代は変わっている。ステータスで武装して、他人を蔑んだり、安心する時代は終わった。万人にとっての幸せなど存在せず、個人一人ひとりが自身の本当のな好きなものは何か?幸せとはなにか?を考える時代になってきている。
昭和45年の車の広告のキャッチコピーで、面白いものがある。
サニーという車の広告で「隣の車が小さく見えます」というキャッチコピーだ。
つまり、この時代は人々はステータスを追い求めていた。人々は車を所有することで社会ステータスを得た気分になり、安心感を覚え、優越感に浸り、自分よりも小さくて遅い車に乗っている人に心理的なマウンティングをしていた時代だ。
滑稽に思うかもしれないが、現代社会に存在するブランド、宝石、5つ星ホテル、タワマン、高級車などなどは、実はまったく同じスキームなのである。
それらを追い求める人々は、自分だけの価値観を持っていない。他人の、社会の価値観にのって生きているだけ。
その潜在意識は、昭和45年と変わっていない。
自分だけの好き、自分だけの価値観に気づけば、変に他人や世間体を気にすることなく、自由に生きることができるようになる。
世の中に閉塞感や生きづらさを感じている人は特に、自分が囚われているものを解体して手放すという作業をやってみてほしい。
P.S.
ダイアモンドの生産量についてGoogle検索したら、こいつはダイアモンド購入予備軍だぞと判断されて、ダイアモンドの広告がめちゃめちゃTouTubeが出てくるようになった笑
視聴単価(CPV)&クリック単価(CPC)の広告だから、マーケティングコストは知れてると思うけど、「ダイヤモンド」関連の検索ボリュームが月に20万VOLくらいあるから、少なくないコストがダイヤモンドに載っているということだよね。