MESSAGE
2020.10.26 Mon
1052 Views

上級国民とか忖度に怒りを燃やす人々の正体と、もしあなたがそうならすぐに手放すべき理由。

今回は、上級国民とか忖度に怒りを燃やす人々の正体について書いてみる。そういう人たちに対するおせっかいというか、アンチな内容になるが、もしこの記事を読んで、少しでもモヤッとしたポイントがあるのであれば、すぐに手放すべき理由についても書いていこうと思う。

私はテレビを見ないので、ネットのニュースでたまに「上級国民」や「忖度」についての恨み辛みの記事を見ると、あー、そんなこと起こってるのね、と思う程度であるが、10年前の自分だったら、一緒に怒って時間を無駄にしていたかもしれないので、過去の自分に向けたメッセージでもある。

社会的に公認された怒り

怒りと言っても様々な種類があるが、「上級国民」とか「忖度」は、社会的に公認された怒りである。

みんなが怒るであろうことなので、怒っていても誰にも咎められることはない。つまり社会的に公認された怒り。

社会的に公認された怒りをもつのはとても気楽である。
そして、憂さ晴らしにもなるし、気分もいいかもしれない。

BLMのキャンペーンも、社会的に公認された怒りの一種である。日本人からみたら、なーにやってんだーくらいにしか思わない些細なことだが、上級国民とか忖度とかと本質は一緒。

上級国民とまではないかなくても、政治家の無為無策に怒り、官僚の無能に怒り、不景気に怒り、安月給に怒り、冷たい家族に怒り、というサラリーマンは多いような気がする。

中高年のサラリーマンに限らなくても、芸能人の不倫問題や、スキャンダルに怒りを覚える日本人はわりと多いのではなかろうか。

自分固有の怒りはない

本人達は、飲み会の席やTwitterのリプで、個人的怒りをぶつけているつもりだけど、そのいずれもが世間的な怒りである。自分固有の怒りはどこにもない。みんなと同じように怒っているだけである。

怒りの質に個性が無いし浅い。

ドイツの哲学者のハイデッカーの言葉を借りるなら、これは「公開性」である。

開け放たれた自由の空間の様に見えて、実はもっとも閉鎖された空間であると彼は表現した。

つまり、各々が個人の怒りを語っている様で、じつは平均化された無難な言葉しか使っていないと。

自分固有の言葉はどこにも存在しない。

大同はあったとしても、小異も存在するはずである。
ひとそれぞれ怒ってるポイントって少し違うはずなのに、みな同じ怒りを吐き出して共鳴しあっているのである。恐ろしい。

あるいは、そもそも、社会的な怒りを吐き出すことによって、潜在意識の弱みに蓋をして、精神的な安定を保とうとしているだけかもしれない。

上級国民や忖度に怒る人の潜在意識

上級国民や忖度に怒る人の潜在意識を具体的に因数分解していこう。

まず、くそっ!上級国民め!と思ってしまう人は、自分が下級国民だと思っている。

下級国民の自分が幸せになれないのは、上級国民がその地位と特権を使っていい思いをしているからだと思っている。

自分の不遇な状況のストレスの吐口として、上級国民に怒ることで精神的安定を図ろうとしている。

あるいは、自分が不遇な状況を脱することができない言い訳を、上級国民になすりつけているだけである。

そういうマインドの人は、たとえ世の中から上級国民がいなくなったとしても、不遇な状況が変わることはない。その人の意識が変わらないのだから。

ちなみに、自分の周りにそういう人が多いのであれば、自分もまた同じ次元にいる証拠なので要注意である。

社会的な怒りを手放すべき理由

シュレディンガーの青猫ブログなので、量子論的な見地から語ってみる。

時間の無駄

社会的な怒りは、いろんな人の怒りの意識が集まっている。強いエネルギーなので、テレビやネットニュースでも目を引きやすい。

だからこそ、人々はにあてられる。あてられて一緒に怒りたくなる。

しかし、社会的な怒りに乗っかって、怒ってみたところで、一瞬発散できて気持ち良くなるかもしれないが、そこから先がない。結局何も変わらない。

嫌いなものに目を向けるよりも、自分が好きなものに目を向けた方が何倍もいい。

怒りが巡り巡って現実を作る

量子論的には、意識が、感情が現実をつくる。

テレビやネットの「上級国民」や「忖度」に対して覚えてた怒りは、現実世界でもループする。その怒りに似た感情を呼び起こす様な出来事が、会社でも、家庭でも、旅行でも、いろんなところで発生してくる。

そして、どこかで断ち切らない限りは、延々とその怒りが呼び起こさせるという負のループに入る。

そういう世界に生きたいなら止めないが、怒り続けないといけない世界って嫌じゃない?

怒りの原因は自分の中にあるのに気づけない

怒りやモヤッとしてしまう事象の原因は、自分の中にあるトラウマや蓋をして見ないフリを決め込んだ感情だ。

それらに面と向かい、気づくことができれば、自然と社会的な怒りなどどうでもよくなるし、負のループから抜け出すことができる。

しかしながら、自分自身に目を背けて、社会的な怒りに同調したり、外にばっかり意識が向かっている状態では負のループが延々と回ることになる。

社会的な怒りを感じなくなる方法

実体験ベースなので、再現性があるかわからない。しかし実際に私はこうやって不要な怒りを手放してきた。

他者のせいにしないで、自分と向き合う

まず、自分の不遇な状況を人のせいにしないというのが一番である。
量子論抜きにしても、他人は変えられない。変えられるのは自分だけである。自由にのびのびと楽しく生きている人は、自分を変え続けている人だけだ。

自分の中にある、負の感情やその原因に向き合うのは結構辛かったりする。
けど、それらを直視もしないで、他者のせいにしている状態では、延々と負のループの中を生きることになる。

自分と向き合って、自分を変えること。これ重要。

海外に行ってみる

劇薬的に効く方法。

私は30歳で海外デビューしてから、これまで50ヶ国をまわって、いろんな国や地域で、日本とは全く違う人生の話をたくさん聞いてきた。いろんな悪意、親切、感情、価値観、文化、さまざまなものに出会えた。

社会的な怒りを含めて、日本に生きてきた自分が囚われていたものに気づくことができた。

海外を経験してきた友達や知り合いは、すべからく社会的な怒りからは自由な印象がある。そんなんどうでもいいと思ってるというか、気にも留めてない。上級国民とか話題にすら上がらない。

ちなみに日本人のパスポート保有率は23.7%らしい。めちゃ低い。
偏見かもしれないが、海外未経験の76.3%は、社会的な怒りに囚われ続けるのかもしれない。

好きなことに目を向ける

テレビから流れてくる暗いニュース、残酷なニュース、社会的な怒りに関するニュースは、強いエネルギーを持っているから目が行きやすいが、そんなものに意識を向けても時間の無駄である。

それよりも、自分の好きなことを突き詰めたり、興味の幅を広げるための情報を自分から取りに行った方が意味がある。

テレビの情報も必要だよ〜!という友達もいるが、断言しよう。テレビに流れてくる情報なんかなくても生きていける。せいぜい役に立つのは天気予報くらい。

ビジネスの情報が必要? NewsPickとスマートニュースのタブをカスタムしてれば、テレビよりはるかに深い情報が取れる。

おでかけの情報が必要? RETRIPかTRILLかaumo使えば、向こう1年の週末の予定が全部埋まるくらいのリッチな情報がある。

癒しが必要? YouTubeでワンニャン動画をみてたら癒されるよ♪

自分から能動的に情報を取りに行けば、マスメディアで垂れ流される情報なんかよりもはるかに多角的で深い情報が取れる。

まとめ

上級国民、忖度、そんな社会的怒りに時間を浪費していないで、自分の好きなことに目を向けよう。そうすれば、ポジティブな感情がループする次元に移れる!

哲学に関連する記事

徒然書きに関連する記事

MESSAGEに関連する記事

おすすめの記事

閲覧数が多い記事